プロフィール

後藤 幸子
― Profile ―

 

 

1969年1月生まれ、京都市出身

関西外国語大学外国語学部 卒業

JALの国際線客室乗務員として13年勤務

新人社員・マナー研修の講師を15年

目黒区小学校PTA連合会会長・目黒区教育委員を歴任

現在、早稲田大学先進理工学部研究室秘書

家族構成:夫と18歳の娘。

趣味:バレーボール、登山

 

 

目黒区在住30年。
京都で育った私が、いつしか人生の半分以上をここ目黒区で過ごしてきました。
18歳の娘は、生まれも育ちも目黒区です。
そして、これまでPTA連合会会長や教育委員として、目黒区の教育行政に深く携わる機会をいただき、全力で職務に取り組んで来ました。

私が区政で取り組んでいきたいことはハッキリと明確で、「学校現場をもっと良くしていきたい」ことにつきます。

3年前、教育委員の任期を終えるころ、これからも区内の学校のサポートをしながら、先生たちの力になる活動を展開したいと自らの想いを語ったところ、「区議会議員になればダイレクトにそれが実現できるかもしれませんね」とアドバイスをもらい、それまで政治の世界をまったく意識して来なかった私にとっては、目から鱗が落ちる驚きの言葉でした。議員という道を強く意識し始めたひとつのきっかけでした。

若いころは、正直なところ子どものことをさほど好きではなかったのですが、自分が親となり年齢を重ねてからは、やはり子どもたちに自然と目が行くようになるもので、例えば小学生などを見ていると、楽しそうにしている時も、悪いことを考えていそうな時も、あるいは悲しそうな時でさえも、今、この瞬間を全身で生きているなあとうらやましく思います。そして、同時にその瞳に映る未来に、希望の灯は見えているかなとも。

少子高齢化、地球温暖化、物価の高騰、そしてパンデミックと、暗いニュースが多い世の中にあっても、これからの世界を担っていく子どもたちが、力強く生きていこうと前向きな気持ちを育むには、学校での教育がとても重要だと考えています。

学校がもっと素晴らしい場所になって、先生たちがゆとりを持って子どもたちに接し、子どもたち自身がワクワクする学校生活を送れる、そんな目黒区の学校づくりにこれからもひと役買っていけたら、これほど嬉しいことはありません。

地域と温かなつながりを育み、子どもを安心して地域の学校に通わせ、そこが地元になっていく、
目黒区に住む多くの人がそんな思いで暮らしていけるこの街をこれからも大切につくっていきたいと決意しています。

 

 

後藤 幸子
― Story ―

 

Story1

「七草の節句」に生まれました。


童謡「さっちゃん」が名前の由来のようで、私としては何とも言えないですが...。


「ち」という発音が難しいようで、海外ではいつも「さしこ」と呼ばれていました。


小学校では6年間リレーの選手、体育は常に通知表5で、ショートカットの活発な女の子でした。

 

 

Story2

CAとして一番嬉しかったのは、やはりお客様から「ありがとう」と笑顔で飛行機を降りて行かれた瞬間です。

急なイレギュラーでファーストクラスを初めて担当したあと、チーフパーサーから「もう、これでファーストキャビンも任せられるわ」と評価されたとき、上司から信頼される喜びを実感したことも記憶に残る思い出です。

羽田空港での地上研修のとき、お客様からお預かりした機内持ち込み制限品が入った封筒を飛行機に乗せ忘れた大失敗は今でも夢に出てきます。

娘の誕生をきっかけに日本航空を退職しましたが、充実の在職13年半でした。

 

 

Story3

小6で出会ったバレーボールの魅力に取りつかれ、高校まではバレー漬けの毎日。

娘の幼稚園入園を機に再開。

キャプテンとしてママさんバレーボール大会で準優勝したり、試合中に前十字靭帯が断裂し救急搬送されたり、と波乱万丈のバレーボールライフを送っています。

試合中の私は「鬼の形相」とよく言われますが、勝ちにこだわる信念はそうそう譲れません。

 

 

Story4

PTA連合会の会長として、児童からの希望が強かった各校のトイレ洋式化を区に対し強く要望。

現在、洋式化が順次進められていく大きなきかっけとなりました。

また、教育委員会としては、学習指導要領改訂の時期にあわせて、小中学校の教科書選定に深く関わりました。

選定作業は実に困難なものでしたが、目黒区で使われている教科書には大きな自信をもっています。

 

 

Story5

山を愛する父の影響で、登山の魅力に取りつかれています。

達成感、充実感、雄大な景色、山頂で味わうカップラーメンの美味しさ...

次はどこの山に登ろうかといつも考えています。

 

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